挑戦する人と挑戦する企業をつなぐ、Forbes JAPAN 初の採用ブランディング

「外資系企業では一人ひとりがそれぞれのゴールに向かって成果を出すために、情報共有や助け合いが少ないと考えられがちですが、同じ外資系でも弊社は違います。“Our Path Together”(ともに歩む)という姿勢が根付いているので、お互いが支え合うことが当たり前。営業提案もみんなで行いますし、ノウハウも全て共有しています」

少し遠くを見ながら、苦渋を飲んだ過去を振り返る。すぐに目線を戻し、こぼれ落ちそうな大きな眼で力強く語りかけるのは、コマーシャル営業の専務執行役員 千葉弘崇だ。

彼が統括する部門は全国の中小規模の企業に対する提案を行う。今でこそ社内でも一、二を争う多くの社員を抱えるセールスフォース・ドットコムの成長に欠かせない組織だが、千葉が入社した当時はたった数名規模だった。

千葉はいかにして、コマーシャル営業を拡大し率いてきたのか。その過程で千葉が大切にしてきたマネジメント方針とは。彼のインタビューから、その問いに迫る。

メーカーでの栄光、コンサルティングファームでの挫折

2008年。創業9年目のセールスフォース・ドットコムに千葉は転職した。当時、彼が配属された中小企業向けの営業チームは千葉を含め数名。今でこそ世界に名を轟かせる企業だが、千葉が入社した頃は営業も悪戦苦闘していたという。

「思ったより売れなくて、“大丈夫だろうか?”と思ったことを今でも覚えています。当時は私も最前線で営業していたのですが、お客様に見向きもされなくて。前々職で6万円のパソコンが1日1,000台近く売れていた感覚とあまりにも違う。どうやってスケールさせるか、毎日必死に考えていました。今思えば、“こうあるべき”という理想論ばかりで、地に足のついた事例がなかった。売れなくて当然ですよね」

千葉のキャリアは1994年から始まる。当時は就職氷河期真っ只中。大学卒業後、PCに関わる職に就きたいと願うも、希望する企業への就職は叶わなかった。それでも、ハードウェアへの想いが捨てきれず就職活動を続けた。最終的に小さな外資系PCメーカーへの就職が決まり、そこで千葉の営業としての才能が開花する。

「当時Windows95が登場した時期で、飛ぶようにPCが売れるんですよ。事業もぐんぐん伸びて、30歳をすぎた頃には部下を持つようになりました。そこから私の役割は採用やマネジメントが中心になりました」

その頃、Windows95は世界的なヒットを記録し、多くの企業がIT事業に参入していた。そんな時代の流れも後押しし、千葉の社会人生活は順風満帆だった。

しかし、そんな安定したキャリアを千葉は自ら捨てる決断をする。

「組織が大きくなって採用や教育など社内向けの仕事が多くなり、仕事を楽しめなくなってきたんです。もう1度、自分一人の力で価値を出せるスキルを身につけないと、いつか市場に放り出された時に通用しない。そんな危機感を感じて36歳の時に、外資系コンサルティングファームに転職しました」

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